いつか、きっと

本来の自分を取り戻す

「他人の世話をして、他人に頼られることで自分の存在を認めさせよう、それによって自分自身の安全も得ようという”否定的コントロール”あるいは”否定的エンメッシュ”」
「自己評価が低いまま、自分のことを二の次にして他人の世話を焼き、しかもそれが報われないということになると”恨み”(ルセントメント)の感情が生まれる」
(斉藤学『魂の家族を求めて』日本評論社、1995、216頁)

「自分らしさの喪失」
(Whitfield,C.L.,Co-dependence,Health Communications,1991.)

今、当時の自分を振り返る。
彼女からの緊急連絡に備えて、夜中に何度も目覚ましをかけていた。
仕事を終えてから片道70キロ余りの道のりを車で往復していた。それを週に何度も繰り返していた。どんなに疲れていても。帰りは午前零時をまわっていることがほとんどだった。
彼女の求めで良い病院を探すため片っ端から電話をかけまくり、その結果を資料にまとめたりした。膨大な時間と労力を要した。

そして、どんなに尽くしても彼女の気持ちが伝わってこないことで大きな不安に襲われ、自分自身を見失っていた・・・数え上げたら切りがない。
「彼女のために」ただその一心だった。自分の心や体に何らかの異変が起きたとしても、たぶん気づかずに倒れてしまっていたかもしれない。

自分は半ば「共依存」状態に陥っていたのだろうと思う。
旧ブログで多くの方々から、自分が危険な状態にあると警告をいただいたことを思い出す。その時でさえ、それを素直に聞く余裕すらなかった。彼女のことしか頭になく、自分自身が危険な状態にあることに気づく冷静さを失っていた。

彼女の言葉、うつという病気が言わせた心ない言葉に自分は「悲しい」という言葉を返した。「傷ついた」と。
お互いの気持ちを隠さずに話せなかったら、二人の関係は遠くない将来おそらく破綻してしまう。自分の中にそんな危機感が生まれていた。だからこそ、初めて彼女に正直な気持ちを伝えたのだった。結果としてその一言が彼女とのつながりを断ち切ることになり、長い間そのことを後悔していた。これまでずっと。

だが、もしあのまま何も言わず気持ちを押し殺して彼女に依存し続けていたとしたら、二人の関係は本来のあるべき形を失って益々不健全なものになっていったと思う。
自分は「愛情」という冠をかぶせた歪んだ感情と行動とによって、彼女が立ち直るための芽を摘み取ってしまったろう。それは二人が一緒にある限り、どちらかの命が終わる日までずっと続き、彼女はいつまで経っても苦しみから抜け出せなかったのではないか・・・

あれからもうすぐ1年が経つ今、そんなふうに考えることができるようになった。それは正しい行動だった、遅かれ早かれ必要なことだったのだと。もちろん、どちらに転ぶかまったく分からなかったし大きな賭けだった。別れという結果に終わったことは残念だが、避けて通れないものだったのだと。それをありのまま受け入れて気持ちを整理しよう。

できる。そんな気がする。いや、もう整理はできている。
彼女に言わせれば「勝手な判断、勝手な解釈」かも知れないけど、答えは自分で導き出さなければいけないんだ。

なおこ、俺は本来の自分を取り戻して前に進もうと思うよ。

このブログもここでひと休み。
ここまで来れたのは、ネットを通じて知り合えた皆さんのおかげと思っています。
いくら感謝してもしきれません。皆さんに幸多きことを祈りつつ、しばしのお別れを。
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by hishiamazon-na6 | 2006-01-18 00:32 | その後
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