いつか、きっと

光は発想の転換の中から

支える側の苦しみは「自分が必要とされているのか」という不安であると
自分はかつてここに まるで客観的事実のように書いてしまった
とても軽率だったと思う
現にそんな葛藤に迷うことなく「支え続けている」方々が大勢いることが
それを裏付けている
だからここに訂正しておきたい

その葛藤は恋愛感情として当たり前なことのように思われ
そういった側面があるのは確かだとしても
自分の場合はそれだけではなかった
それは「自分を認めて欲しい」という強い欲求から生じるものだった
好きになった相手がたまたま病気で苦しんでいたから「救ってあげたい」と思った
そこまでは心情的に自然なことと言えるかも知れない

しかしその一線をはるかに越えてしまう人もいる
(自分はまさにそうだったのだと思う。その背景にはある種の差別意識(うつ病=非健常者=弱い存在)があったろう)
彼女(彼)を救うのは自分しかいないとまで思い込む
自分のことは二の次に盲目的に世話を焼く
そのこと自体どんなに無茶なことであっても苦痛を感じない
むしろ充実感で満たされている
しかしその一方で
相手に感謝の言葉を期待したり自分への愛情の有無を確かめたがる
それによって「自分が認められている」という安心感を得ようとする
それ以外に自分の存在理由を実感する術を知らない
期待する見返りが得られないと不満や不安を覚えて動揺し
相手に恨みや憎しみの感情を抱くことすらある
(幸いにも自分は相手に対するそういう負の感情を抱くまでには至らなかったが)

情緒的な未成熟さがもたらす「甘え」と「依存性」の悲しい産物

今まで自分は健常者の側にいると思い込んでいた
「共依存」になりかけたと認めたことはあったにせよ
それでも自分は踏みとどまっていると信じて疑わなかった
自分はこれまでずっと
健常者としての立場で行動し物事を考えてばかりいて
その結果として「答え」は一向に見えなかった

しかしそうではなかった
そのとき既に自分自身も病んでいたのだ
それを認めることによって初めて
長く探し求めてきた「答え」がかすかに見えてきたような気がする

そしてもう一つ
あらためて書くまでもないことだけど誤解を生まないように・・・
自分のその精神的傾向は彼女との交際が引き金となって生じたものでなく
彼女と出会うずっとずっと以前から
家庭(家族)環境の中で培われてきたものだ

できれば認めたくはないと思う
でもそれに気づくことができただけでも幸せなことだと考えたい
彼女との出会いがなければ自分は一生このままだったかも知れないな
そんな自分をありのまま受け入れてこれからをどう生きて行くか
すべてはそれにかかっている
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by hishiamazon-na6 | 2006-12-09 19:52 | 個人的なこと
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